プロフィール

The Professional Translator 新人翻訳家インタビュー記事はこちら

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国際英語発音協会協力機関
翻訳コンシェルジュ

代表
松崎 由起子

【資格】

英検1級
TOEIC990点(満点)
TOEIC SW 380点/400点 (ライティング満点)
Cambridge English: Proficiency (CPE)(CEFRセファールC2最高レベル)
IELTS 7.5 (リスニング8.0、スピーキング8.5)
国際英語発音検定100点(満点)
国際英語発音協会認定「英語発音指導士」
mpiフォニックス認定(R)試験 -知識編-合格
日本政府観光局 グッドウィルガイド
韓国語能力検定試験2級
フランス商工会議所仏語能力試験620点
アルクTOEICスコアアップ指導者養成講座修了
DHC日英実務翻訳講座AA判定にて修了
ストリートアカデミー ゴールドティーチャー(独立後4か月)、プラチナムティーチャー(独立後半年)

【指導経験】

K大学附属中学・高校・学の生徒様向け学習塾
大手不動産会社コンシェルジュ様向け接客英語研修
眼科医院様向け接客英語研修
新百合ケ丘産経学園講師
個人の生徒様1000人以上

【翻訳経験】

ハリウッド映画関連翻訳
YouTube動画
バベル出版「ジャッキーの奇跡」(共訳)
企業ウェブサイト
IR資料
国際見本市MC原稿
バイリンガルナレーション原稿
ブログ
業務委託契約書
マニュアル
取扱説明書
レターなど

クライアント様一例:JTB西日本JIPANG-WORKS 野沢温泉パール吉越 プラスドリーム Pianey’s はないろむすび Kelly’s Nail Salon Ebisuその他

【通訳】

武蔵一族 時代アカデミー

【英語ナレーション】

京都キッズコレクションVol.02ナレーション

【キャリア】

東証一部上場の化学メーカーにて約三年半、株式およびIR業務に携わった後ホテルコンシェルジュに転身。その後トータルで8年間、高級ホテルのほか大手総合ディベロッパー社員として高級レジデンスにて国内外のお客様へのサービスを提供。サービス企画、スタッフのモチベーション向上のための取り組み、サービスの品質維持向上、イベント運営にも携わる。外資系ジェリーブランドカスタマーサービスのコーディネーターとしてお客様はもちろん全国のスタッフのサポート経験もあり。一方で自ら翻訳を学んだり、ブログや学生時代から継続して行っている知人へのレッスンを通して英語をさらに深く学んでいくうちに、「本当に親身な英会話レッスン、そしてサポート」を提供できるサービスを立ち上げたいという夢が生まれた。2015年4月に独立。

~生い立ち&英語とのかかわり~

東京都生まれ

◆小学校時代

当時としては珍しく小1から英語、課外授業でスペイン語がある学校でした。もともと国語が得意だったことに加えモノマネ好きだったこともあり、すぐに興味を持つように。簡単な単語を言ってみたり歌を歌ってみたり、そんなことが中心のお遊びでしたが、外国語の音をモノマネすることがとにかく楽しかったのを覚えています。

◆父親の仕事で渡仏

10歳で父の転勤で渡仏。子供だったので「フランスって何 ?」「どこに連れて行かれるの?」という感じでした。友人から「カタツムリ食べるらしいよ!」と言われてますます不安になったのを覚えています。

学校は現地に行ってから色々見て決めました。日本人学校はパリ市内から遠く、車酔いする私にはスクールバスの道中が耐えられず断念。現地校と迷った結果、「せっかくなので世界中の人と友達になりたい」という理由でインターナショナルスクールを選択。先生も生徒も色々な国の人たちが集まっている学校だったので「正しい発音」はありませんでした。一所懸命練習してやっとイギリス風の発音を覚えたと思ったら担任の先生がアメリカ人になり「なんだその発音は!」と怒られたこともあるし、インド人の先生の発音もかなり独特で全然わからない。英語が嫌いになってしまい口数が少なくなっていたら「精神年齢が高すぎて授業がつまんないんじゃないか」と飛び級させられたのですが、余計大変でした(苦笑)。でも独特な発音の英語でも問題なく聞き取れるのはこのときの経験のお陰です。インド人の友人とランチタイムにおにぎりとカレーを交換をしたり、英語一つで世界中の人と仲良くなれることを知り、「英語はツールだ!」ということを身を持って体験できた、貴重な4年間でした。

唯一の問題(?)は、世界情勢や各国の経済によって在校生の国籍のバランスが変わること。バブル真っ只中の90年代初頭はとにかく日本人が多かったのです。でも所詮は子供。日本が恋しくて、日本語に渇望していて、当時は日本人の友人たちと交換日記をしたり、日本のCDやテレビ番組のビデオを交換したり、日本の雑誌を見てソニプラに憧れたり、そんな生活を送っていました。日本から送ってもらった小説を読むのも愉しみでした。両親もそれに対して「日本人の友達とばかり遊ばないの!」などと言うことはなく(実際にそう言われて日本人の少ない学校に何度も転校させられている子もいて気の毒でしたよ)のーんびりと過ごしていました。

◆高校入学

帰国後は半年間区立の中学に通い、その後ICU高校に入学しました。帰国子女が多い学校だったので、「アメリカ在住十数年!」「日本語より英語が得意!」という人も少なくなく、「私も一応理解はしてるししゃべれるんだけど、やっぱり違うなあ」と落ち込む日々。入学してすぐに「大変なところに来てしまった」と後悔すらしました。周りがすご過ぎて、かなり落ち込みました。流行りの海外ドラマを観て、アメリカの女の子や海外生活にひたすら憧れる毎日でした。とは言いながらも、なぜか初めて受けたTOEICでは860点を取得。成功の理由には、どうやら子供の頃に触れたスペイン語、それからフランス生活で学んだフランス語も影響していたみたいです。と、言うのも英語の単語にはギリシャ語やラテン語を部分的に持つものが多く、それらの言語をルーツに持つスペイン語やフランス語を少しでも知っていることで、知らない単語の意味を推測することが出来ていたのです。

ちなみになぜ高校生なのにTOEICを受けたかと言うと、本屋でたまたまパンフレットを見つけて、合否がハッキリする英検よりお得かな?これから流行りそうなテストだな、と思っただけです。

◆上智大学比較文化学部に入学

高校時代の英語コンプレックスを克服するため授業が全て英語で行われる上智大学比較文化学部に入学しました。……というとカッコイイですが、英語ばっかりやっていたのと、三校しか受けなかったのでI had no choice. 結果的には良かったんですよ!!でも入学前日までドキドキしていたのは事実。ぜ、ぜんぶ英語!Σ(×_×;)!??と。でも積極的な発言を求められる少人数制の授業、そして週2回のプレゼン(科目ごとに)恥ずかしがっている余裕は一切ナシ。気付けばいつの間にか「恥ずかしい」は克服していました。「自分の考えを伝えたい!」という 思いも強くなり、また、「『私なんか』と落ち込むくらいなら発音の上手い人を観察してマネ(お得意の!)して、盗めばいい!」と前向きな考えになっていました。大学2年生のときには英検1級に合格。亡くなった祖父がとても喜んでくれたのを覚えています。この頃には学習塾で某K大学付属の高校生の皆さんに英語を教えるアルバイトもしました。もともと優秀な皆さんですがやはりいわゆる日本式の文法には苦労されていて、それをどう分かりやすく説明するかを日々考えていました。自分が「そういうもんだからとにかく覚えて!」と言われるのが大嫌いなもので(要は理屈や)。とても良い経験になりました。

◆22歳 東証1部上場の化学系メーカーに就職

卒業後は香料メーカーに就職。外資系に就職しないことを不思議がる人も いましたが、「日本企業の方が英語力を必要としているはず」との思いから、あえて日系企業を選んだのです。この判断は正しく、入社時から男性しかいない経営企画部という会社の中枢を担う部署に配属となり、会社パンフレットやホームページ、海外アニュアルレポートの翻訳、IR通訳などの重要な業務を任せてもらうことができました。厳しいけれど、とても充実した日々でした。

◆25歳 コンシェルジュになり、5つ星、6つ星の高級ホテルや大手総合ディベロッパーのレジデンスで働く

「得意の外国語を生かして色々な人の役に立ちたい。そして、もっともっと色々 な言葉を勉強したい」との思いからコンシェルジュに転職。この仕事の良いところは、何と言っても「毎日外国語が使える」こと。業務を通して毎日英語、フランス語、そして途中から興味を持った韓国語の勉強ができ、さらに色々な人の役に立てるところ!すっかりハマりました。「こんなに楽しいのにお給料がいただけるの!?」と、心から充実した日々を送っていました。そうやって「お客様のために」(たった一人のお客様のときもありましたよ)と色々勉強しているうちに、気付けば、個人的に勉強していた翻訳の能力や社内イベントでの通訳経験などを買われ、「英語ならあの人」という評価を得るようになり、再び会社のサイトの翻訳など様々な翻訳のお仕事を頂くようになっていました。さらに、ひょんなことからかなり上の上司に言われた「文章を書く仕事が向いてるんじゃないか」という言葉に勇気をもらい、約一年DHC実務翻訳のコースを受講し、出版翻訳オーディションに応募したところ2作品とも合格。現在、出版に向けて準備中です。

◆現在

2015年4月、ついに独立しました。「なんだかんだ言って子供のときから外国語に触れて来たじゃないか」そう思う方もいらっしゃるかもしれません。それについては両親にとても感謝しています。でも、「上手くなってこれがしたい!」という気持ちが芽生えたとき、そのときが 一番伸びるときだと知っています。私自身、30近くに始めたばかりの韓国語を数年後にはセミネイティブレベルにしたいと本気で思っているし、出来ると信じています。 むしろ今のダメッぷりをきちんと目に焼き付けておかなくちゃ!という感じです。 私自身、社会人になってからフランス語と韓国語の勉強のために語学学校や個人 レッスンに通いました。生徒さんの立場に立った、豊富なコンテンツと本当に役立つことだけを最短で身に付けられるレッスンを目指したいと 思っております。

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