多くの人が英語にだけ抱く特別な思い

ゴールデンウィークあたりからなんとな〜く考えていたのですが(基本的に私は手を止めて何かを深く考え込むことはありません。例えて言うなら裏で動いているアプリのような感じでしょうか、大して考えてもいないのにあるとき突然答えが浮かびます)、多くの日本人が英語に対して持っているコンプレックスや苦手意識って、そもそも「なぜ英語をやらなきゃいけないのか」わかっていないところから始まっているような気がします。

いわゆる第二外国語であるフランス語やスペイン語、中国語、韓国語、ロシア語………などの言語は、「その言葉や文化が好きだから」という理由で自分で選んで始めるものなので、発音も「これはこう言います」の定形文も、言われるがままに受け入れることができる。その国の人みたいに考えて喋れるようになることが憧れだし、幸せだと思える。もし万が一途中で「いや、これは違う」と思えば棄てるという選択もある。でも英語についてはイマイチ「なぜやらなきゃいけないのか」に納得しないままやらされている感覚が強いうえ、英語自体が「どこの国の言語」というものではもはやないのでどこを目指していいかわからない。それでいて完全に棄てることもできない。例えできたとしても、どうしても罪悪感や敗北感が残ってしまう。100パーセント「英語は全然好きでもないし必要もないからやめたの!」と言い切れる人がどれだけいるか。「もう少し努力すべきだったんじゃないか」、そんな風に思ってしまうのではないでしょうか。

日本語はとても優れた言語です。「晴れ女」、「葉桜」、「七分袖」。日本語特有の表現や響きを持った言葉がたくさんあって、みんな日本語が大好きなんです。それに、日本語だけでも高等教育は受けられるし、就職もできる。英語をどうしてもやらなきゃいけない理由がみつからないのです。だから「なんでやらなきゃいけないのかな」「本当にやらなきゃいけないのかな」、ついそんなことを悶々と考えてしまうのだと思います。

それ以上でもないしそれ以下でもないし、私には英語がグローバルな言語であるという事実がある以上、何も言えません。ただ、日本にいながらにして、私は幼い頃にスペイン語をはじめ様々な言語に触れる機会がありました。8歳の時点で少なくとも3つ以上の言語には触れていたと思います。それはとても大きかったと思っています。言葉が日本語と英語だけではないことがわかったし、それぞれの音の特徴、「この表現はこの言葉が一番好き」という感覚もありました。だからこそ思うのですが、幼少期から英語をやらせるのであればむしろ他の言語にも触れる機会を作らせてあげて、どの言葉に対しても「面白いな」「こんな音なんだ」というのを実感させてあげるのはどうでしょうか。「英語ができたら将来役に立つからやりなさい」と言うのは、「ニンジンは体に良いから食べなさい」と、毎日、毎日ニンジンサラダを目の前に出すのと同じくらい迷惑な話です。ノイローゼになりそう。たまにはビュッフェに行っても、いや、サブウェイに行ってもいいじゃないですか。他の可能性も見せてあげようよ、そんな風に思います。

8歳にして「せっかくスペイン人のシスターが放課後のスペイン語クラス開いてくれたのにかわいそう」と、学年100人の中、たった1人で毎週参加していた私。他の同級生は塾に行ったり「もっと役立つ」習い事をしていたんじゃないかな。でも私はスペイン語を知ることで英語も日本語も含め、言葉が大好きになりました。子供達に英語以外の言語に触れる機会を作ってあげること、それもいつかやりたいことかもしれません。

長くなりました。明日はイチオウお休みです⭐︎

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